パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

和のお花、いけばな

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完全と不完全では、不完全がいいというわけではない。完全がよいに決まっている。

==== だから、努力もするし、よいものができる。

ただ、本当は完全なものなんて決して出来なくて、完全だと思ったところで成長が終わってしまう。

だから完全を目指すというところが大事なことなのである。

 

一方で、足りないところを補おうとする、そこに「余地」がある。

 

花の器が単独の飾り物としてではなく、花とともにあるべきものなら、
花の居場所がなければ、花器としてのスケールは小さい。

花の姿を活かし、ひとつになって見栄えがしなくてはならない。

 

さらに、家の中、建物の中にあって、花だけが居丈高にあっても、うるさく美しくない。
ごく自然に、そこに溶け込んでいる。

和の花の心は、自らを主張したい西洋のフラワーアレンジとは思想が違う。

 

調和のとれた美しさを奏でるためには、花も花器も室内装飾も互いにゆずりあって存在しなければならない。

それでも足りない何かが、人の居心地になる。

 

部屋は完ぺきに作ってはならない。

人も完ぺきであってはならない。

 

偉そうなこと・・・。ではなくて。

長い間かけて読んだ本やお稽古や生活の中で、ある日しみ込んだものが言葉として湧きあがってくる。

私はそれに気がついて、とても嬉しいと思うのだ。

 

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