明るい春の雑木林の下草に、青い花が群れている。
目に鮮やかなブルーがとてもきれい。
ラショウモンカズラ(羅生門蔓)なんて、ちょっと名前がハードな感じだ。
渡辺綱が羅生門で落とした鬼女の腕にみたてたというが...。発想がすごい飛躍してる。
でも、よく見ると花の下唇に細かな毛が密生していて、そこが毛むくじゃらの鬼の腕といえば鬼。
その物語も美しい女性が怖ろしい鬼に変身するというから、きれいな花にふさわしからぬ、その剛毛が連想させたのだろう。
「私の母は『童話というものは、子供の時と大人になってからと2度読むといいのよ』と言っています。最近はメーテルリンクの青い鳥を読みました。」
或る日、若い生徒さんから聞いた言葉に、なるほどと思った私も、もう一度メーテルリンクの青い鳥を読むことにした。
幸せの象徴「青い鳥」を探すチルチルミチルの物語は、読んだことのない人もきっと結末だけはみんな知っている。
幸せを探し求めて旅に出たものの「もともと自分の家にあった」という教えは、すでに新しい発想ではない。
昔、私も読んだ「青い鳥」だけれど、改めて手に取って開いてみたら、それは意外にも戯曲だった。
読み進むうちにいつのまにか、自分はチルチルになってミチルと一緒に物語を旅していた。
比ゆ的な、寓話的なエピソードの数々を、自分の生きてきた道や、周りの人々に何度もなぞらえている。
本を閉じたとき、何かモヤモヤしたものが整理され、薄皮が一枚剥がれたような気持ちになった。
大きな出来事があって、心持ちが劇的に変わるとは限らない。
こんな風に日常の中に 小さな発見があり、それが少しずつ自分を整えていく。
人生が修行だとしたら、そこで習ったことをおさらいするための、散歩と読書は促進剤の役割をする。
このことをいつか書きたいと思っていたのだが、この物語にふさわしい写真がなかった。
このたび羅生門蔓の写真を見ているうちに、青い鳥に見えてきた。
きれいなだけじゃなくて、ちくっと針のある物語。