種子(たね)は、自分が何者なのかは知りませんでした。
種はただの、種だったからです。
自分が何の花だったかも覚えていません。
かつて落ちたであろう朽ち葉の上に、また幾層もの落ち葉とさまざまな虫の死骸と土が積み重なり、深く沈んでいきました。
日の射さない土の中で長く種子は宿っていたのです。
それは暖かいゆりかごのような、長い長いときではありましたが、
種は時間の目盛を知りませんでしたから、
それが長いのか短いのかもわかりませんでした。
あるひ、時が来て種子は目覚め、そしてその胚の一部が盛り上がって、どうしても閉じた世界の中から伸びて行こうとする力を止めることができませんでした。
しかしそれがどこに向かっていくのかも、わからないことだったのです。
閉じようとする心に抗(あらが)いながら、白い双葉は殻を開き土を割り、外を目指して進んでいきました。
不思議の国のアリスがキノコを齧(かじ)ったとき、部屋の天井より巨大になるのを止めようがなかったように、種はただ、そうせざるを得なかったから、そうしたのでした。
真っ暗な部屋から外界に出たときに、それは何と輝きに満ちた場所だったことでしょう。
しかしそれはもっと危険な場所でもありました。
柔らかなそよ風でさえ!
生まれたての小さなひょろりとした双葉にはまだ、頬を打たれるほどの痛みを与えるものでした。
花の死が、次の命・・・結実の始まりのように、種子の終りにあるのは芽生えです。この苗は若木になれるのでしょうか?、若木はやがて巨木になるのでしょうか?
春夏秋冬、これから幾たびの死と誕生を繰り返していくのでしょう?
この物語はここで終わりです。なぜならこれは種子の一生だからです。
種子の前を歩いている人はいませんでした。
そのため、誰かを手本にすることはできなかったのです。
人は誰かと同じになることはできません。
でも自分自身になら、なれるでしょう。
どんぐりの種は樫の木に
わたしはわたしに、あなたはあなたに、
なれるでしょう。
その素晴らしいあなたになれるかは、努力次第。