昨年の暮れ12月30日に、母と一緒に先月のお札(ふだ)を返し、新しいお札を頂きに伺った。
参拝者はまばらだが、本殿の前には初詣のために、すでに特別に大きなお賽銭箱が用意されている。
私が父とお参りに行ったのは小学一年生の冬に一回だけ。
あまり覚えていないけれども、当時はもっと簡素な神社だったと思う。
父が亡くなってからの30年は、母が通ってきた。
もうすぐ90歳になるので、最近では兄が行くことが多い。
もうすぐ90歳になるので、最近では兄が行くことが多い。
今月からパルファンサトリも会社として一緒に御祈祷をしてもらうことにした。
もしかしたら私も、これから30年通うようになるのかしら。
白い上着を巫女さんに着せかけていただき、本殿に上がる。
すがすがしい空気の中、お祓いを受けるにつれ、穢(けが)れが清められるような気がする。
これは、正月を控えて20日から飾られている迎春干支ねぶた門。
この下をくぐると厄除けになるという。
母によると、日本で初めて厄除けの宣伝広告をしたのがこの寒川神社だという。
広告代理店を経営する父が企画した仕事である。
当時、「神様が宣伝をするとはけしからん」と、神社庁からお叱りを受けたそうだが、今や多くの神社が、七五三や初詣など積極的にアナウンスするようになった。
神馬舎。神様の乗り物である馬を納めるところ。
母が顔見知りの禰宜(ねぎ)さんとこの前でばったり出会ってご挨拶。
母が顔見知りの禰宜(ねぎ)さんとこの前でばったり出会ってご挨拶。
若いうちは、「神仏に頼るなんて」と軽んずる気持ちもあったが、年を取るにつれ、「頼る」のではなく、人智の及ばない領域というものに畏れを抱き「敬う」ということが、むしろ自然なのだと考えるようになった。
車に乗って、帰りの高速道路から今日は富士山が見える。
春から夏は霞んでほとんど見えず、冬の3か月は見えることが多い。
「これは瑞兆。来年(もう今年のこと)はいい年になるね」と母が喜ぶ。
八方除けで有名である。