パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

寺田寅彦随筆集 地震国防

120401関東大震災3.jpg6月にキンドル(KINDLE)を買ってから1か月あまり使っていなかったのだが、何気なく手に取ってみているうちに便利さに気が付いた。

このところキンドルが離せない。

そんなある日、キンドルのストアで「寺田寅彦随筆集」を発見した。
寺田先生は明治、大正、昭和にわたる物理学者であると同時に防災研究で社会に貢献した方である。

そもそも中谷宇吉郎随筆集で寺田寅彦先生のことを知ったのだった。
中谷先生は「雪は天から送られた手紙である」という言葉で有名な雪の研究者。

その師の寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉(実際にこの言葉は書き残されていないそうであるが)で有名な自然科学者であり、随筆家である。
夏目漱石と交流があり「坊ちゃん」や「三四郎」の登場人物のモデルにもなっているという。

 

これらの随筆の中では、本当に「科学的な考え方」というものを、子供にかんで含めるようにやさしく説いている。
難しいことを易しく伝えるのがもっとも大変なことであるし、ユーモアとは真のインテリジェンスである。

ほかの分野との横断的な思考、芸術、文学など、話題が豊かで読み飽きない。

一冊づつは短いけれど280冊もありすべて無料で読める。
もともとはインターネットの青空文庫で出しているものなのでパソコンでも開けるのだが、キンドルなら移動中に読みやすい。

興味深そうなタイトルを、何冊かづつダウンロードしては読む。

 

その教養と造詣の深さはとても伝えきれないのであるが、
その随筆の中に災害大国の日本の防災について書かれた章が多数あり、今日は防災の日ということもあり青空文庫から一部引用させて頂いた。

 

「震災日記」は関東大震災に遭遇した寺田先生が、その前後数日を書き留めたものである。
8月24日の加藤首相薨去の報から始まり、9月1日に上野で震災に遭い、震災2日後の9月3日で終わる。

混乱と恐怖の町中を歩き、冷静な目で観察された記録である。
淡々とした語り口が一層リアリティを感じさせる。

 

・・・八月二十六日 曇、夕方雷雨
 月食雨で見えず。夕方珍しい電光 Rocket lightning が西から天頂へかけての空に見えた。丁度紙テープを投げるように西から東へ延びて行くのであった。一同で見物する。この歳になるまでこんなお光りは見たことがないと母上が云う。・・・

九月一日(土曜)

・・・東照宮前の方へ歩いて来ると異様な黴臭い匂が鼻を突いた。空を仰ぐと下谷の方面からひどい土ほこりが飛んで来るのが見える。これは非常に多数の家屋が倒潰したのだと思った、同時に、これでは東京中が火になるかもしれないと直感された。 ・・・

 

地震国防」など、どこをどう抜粋していいかわからないほど、全文がみっしりと密度が濃い。

80年前の昭和の初めに、今の日本に喫緊の問題を 説いているのである。
本編には単なる警告だけでなく、なぜ同じことが繰り返されるのか、人間の心理と社会のしくみ、防災対策などまで述べられている。

 

天災と国防 

・・・しかしもしや宝永安政タイプの大規模地震が主要の大都市を一なでになぎ倒す日が来たらわれわれの愛する日本の国はどうなるのか。小春の日光はおそらくこれほどうららかに国土蒼生を照らさないであろう。軍縮国防で十に対する六か七かが大問題であったのに、地震国防は事実上ゼロである。そして為政者の間ではだれもこれを問題にする人がない。戦争はしたくなければしなくても済むかもしれないが、地震はよしてくれと言っても待ってはくれない。地震学者だけが口を酸っぱくして説いてみても、救世軍の太鼓ほどの反響もない。そして恐ろしい最後の審判の日はじりじりと近づくのである。・・・

時事雑感 (昭和六年一月、中央公論

 

津波と人間」

昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端からなぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰返されたのである。
 同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。・・・

・・・中略・・・「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。
 それだからこそ、二十世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼払われたのである。 

 

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