パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

御苑と藤娘(ふじむすめ)

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新宿御苑の藤はあまり目立たない。たぶん池のほとりに1か所くらいかと思う。花房も小さく、パラパラとしてやや控え目である。

 

==== 花が高いところに咲いているので匂いを嗅ぎにくい。もっとたくさん長く垂れ咲いているところだと、香りが漂ってくるのだが。


最後の舞台が藤娘(ふじむすめ)だった。
この一節だけ覚えている。

「人目せき笠 塗笠しゃんと 振かかげたる 一枝は
紫深き 水道の水に 染めて うれしきゆかりの色に」

松の大木に藤が絡み、紫の長い花房が場面いっぱいに垂れ下がる美しい舞台。松が男性を、藤が女性を表している。ストーリーは、藤の精がつれない男心をなげきつつ酒に酔いながら踊るというもの。 

「宵寝枕のまだ寝が足らぬ藤に巻かれて寝とござる」「うちの男松に からんでしめて」
など、いま聞くとずいぶん艶めいて、本当は子供が踊れるような内容ではない。

ただそのときは歌の意味などわからず、きらびやかな刺繍の着物を着て、藤の枝をもたせてもらえるのがうれしかった。塗笠(ぬりがさ)をかぶり、長いふり袖にお引きずり、途中に「引き抜き」と言って、一瞬にして衣装を替える場面もあり、盛りだくさんなのだ。

だいたい、「娘」とか「姫」という言葉がキライな女の子がいるだろうか?(いくつになっても)

発表会(の衣装)が好きなだけで、お稽古はあまり熱心ではなかった。「首はこう」「指先はこう」「ハイ、腰を落としてこう曲げる」いちいちポーズを止めて直される。静かな動きだからこそ、日本舞踊は重労働なのだ。

そんな調子なので、舞台の花道(はなみち)からの出で始まる一幕だけのリハーサルで上がってしまい、頭が真っ白に。一応観客(お弟子さんたちの家族)もいる中で、長唄が流れるあいだボーゼンと立ちつくしてしまった。エゝしょんがいな。

本人はたいして気にしていなかったのだが、周りがこれは大変だとばかりに、それから1週間後の本番に向けて名取の先生が家まで出稽古に来て下さった。上演当日、少しドキドキしたがいざ始まってしまうと案外落ち着いて、本番はつつがなく終了した。

たぶん、母が一度は藤娘を踊らせたかったのだろう。学校はお稽古場と反対方向で、家から電車を乗り継いて1時間かかる。中学になり通うのが難しくなったのでやめさせていただいた。(この敬語は先生に対してもの)

代わりにねだって茶道を始めることにした。親子では喧嘩になるからということで、学校近くに茶室を構える師範のところに入門した。この道もどうせ続かないだろうと母は思っていたようだが、お茶の方は案外合っていたようだ。

写真:新宿御苑の藤
歌詞:藤娘

若紫に十返りの花を現す松の藤
人目せき笠塗笠しゃんと振りかたげたる一枝は   
紫深き水道の水に 染めて嬉しき由縁のいろ   
いとしとかいて藤の花 エゝしょんがいな
裾もほらほらしどけなく   
鏡山 人のしがより此身のしがを   
かえりみるめの汐なき海に 娘姿の恥かしや   
男心の憎いのは 外の女子に神かけ
あわずと三井のかねごとも
  
堅い誓いの石山に身は空蝉のから崎や   
待つ夜をよそに比良の雪解けて逢瀬のあた妬ましい
ようもの瀬田にわしゃ乗せられて
文も堅田のかた便り 心矢橋のかこちごと

松を植えよなら有馬の里へ植ゑさんせ
何時までも 変わらぬ契りかいどり襖で
よれつもつれつまだ寝がたらぬ
宵寝枕のまだ寝が足らぬ藤に巻かれて寝とござる
アア何としょうどうしょうかいな
わしが小枕お手枕
空も霞の夕照に名残を惜しむ雁がね
 
潮来出島の真菰の中に
菖蒲咲くとはしおらしい サアサよいやサア
宇治の柴船 早瀬を渡る
わたしゃ君ゆえ のぼり船 サアサよいやサア
花はいろく五色に咲けど
主に見かえる花はない サアサよいやさ
花を一もと わすれて来たが 後で咲くや開くやら
サアサよいやサー よいやさ しなもなく
花にうかれて ひと踊り
 
藤の花房色よく長く 
可愛いがろとて酒買うて 飲ませたら
うちの男松に からんでしめて
てもさても 十返りという名のにくや
かへるという忌み言葉
はなものいわぬ ためしでも
しらぬそぶりは ならのきょう
松にすがるも すきずき
松をまとうも すきずき
好いて好かれて
はなれぬ仲は ときわぎの たち帰えらで

きみとわれとか おゝ嬉し おゝうれし

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