朝早く、まだ薄暗い中で目が覚めた。
昨日から降り続いた雪がみぞれまじりの雨となったことは、ぴしゃぴしゃという少し大きく、そして間延びした音でわかる。
久しぶりの休日の朝、なんとなくぐずぐずベッドの中にいて、覚めきらぬ意識の中を漂流している。
想い出しているのか、半分夢を見ているのか。幼い日に私はいた。
古い家の間取り。薄暗い部屋。廊下をひたひたと歩く小さなはだしの足。
突き当たりを左に折れると浴室があり、脱衣所から2坪ほどの洗い場に入ると、曇りガラス戸の前に洗濯機があった。
白いエプロンをつけた女の人がハンドルを回している。
当時は脱水機などなく、2本のローラーに挟んで洗い物の水気を絞るのだった。
引き戸から裏庭に出て、裏の外階段を上がると物干し場がある。
「おじょうちゃんそこは危ないから行ってはいけません」
背中で聞いて登る木の階段は半ば朽ちて苔が生え、小さなオレンジ色の茸が生えていた。
雨の音が洗濯機を連想させたのかもしれない。
まるで昭和の記録映画をみるような、とりとめのない一コマ。
なぜか遠い昔の記憶は鮮明だ。
歳月は年ごとに早く過ぎていき、その代わりに昔を近づけるようだ。
10の時の5歳の記憶よりも、この年になっての5歳の思い出は、時間のふるいにかけられて、より濃縮されている。
のちの情報によって記憶が操作されていたとしても。