パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず) /休日読書

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実家の化粧室に、小さな額がかかっている。

白い紙の真ん中に大きな丸が一つ。
そして下に小さく「八、人牛俱忘」と書いてある。

 

いつも見るたびに「この絵はなんだろう・・・?」と思っていた。

しかし外へ出ると忘れてしまい、ときどき絵を掛け替えることもあって、
長く聞かずじまいだったが、ある日機会を得て母に尋ねてみた。

 

これは十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)、「牛を探して旅に出るうちに、ついに悟りを得る」という中国の物語。
禅の知恵を十枚の絵でつづった、八番目なのだそうだ。

 

「なんで八なの?」
「十番目じゃあんまり人間が出来すぎだから、八くらいがちょうどいいと思って飾ってみた・・・。」
そういう母は八十も半ば。


 

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そして歳月が過ぎ、つい先日また母の部屋でこの本を発見。

本当は難しい古典を、わかりやすく解説した書だ。
もう一回ちゃんと知っておこうと借りて読んでみた。

 

十牛禅図は、牛=本当の自分を探す旅の物語。
般若心経の「空」を知り、悟り(さとり)に至る道を十枚の絵と詩にしてある。

くどくは書かないが、探し求めて自分を発見して、悟って終わりではなくて道半ば。
そこからまた先が長いのが面白い。

 

一の「尋牛(じんぎゅう)」は、自分探しの旅に出るところから始まり、つかまえたリ御したりの苦労はあるものの、四でもう牛=自分「得牛(とくぎゅう)」を得てしまう。

 

 

「五」で飼いならし、「六」ではつかまえた牛に乗って家に帰る。
これを「騎牛帰家(きぎゅうきか)」という。

迷いをすてて、道を進むことだ。
自分と牛(本当の自分)が一体になって迷いがなくなり、満足した状態になる。

もう、ここで終わりでも充分ではないか、という気分になってくる。

 

しかし「七」で悟ったことを捨てて、「八」で悟った自分自身さえを捨ててしまう。
これもまた、し難いことだ。

 

さらにまた「九」で返本還源(えんぽんげんげん)、ありのままをあるがままに受け止め

「十」の「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」で俗世間に戻ってくるところで終わる。

 

この思想にはとても大陸的なおおらかさを感じる。

ちょっと入門の本を読んだだけで理解できるなんて思わないし、自分が生きているうちにここまでいけるなんて到底考えられない。

 

本来修行は厳しいだろうけれど、苦行をしたからと言って「さとり」きれるかといえば、そうでないのかもしれない。

むしろ、苦労すればこそ、執着して「悟り得た」ことを捨てることができない。
苦労しただけで悟れたような気持ちになることもあるかもと思う。

「普通ではない自分」がえらいと思ったりして「普通」を見下したりする。
これはまた、表裏でもあったりして。

 

無から始まって無に戻る、それは同じところへ戻る無ではないのだと思う。


 

年をとるほどに無邪気になっていく母を見ていると、私も生きているうちに「六・騎牛帰家(きぎゅうきか)」」くらいまではなりたいものだ、と思う。

 

 十牛図は難解な本でいままで解説書もなかったそうだが、この本は大胆な翻訳でかかれた入門者のための翻訳本である。「十牛禅図」 松原哲明 著

 

 

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