私には年の離れた兄が二人いる。そのため小学校に上がるころから少年誌を愛読していた。
==== 週刊漫画雑誌のほか、「冒険王」「ぼくら」という月刊誌なども買ってあった。ある年齢以上の方は、ストップ兄ちゃんとか、紫電改の鷹とか聞くと懐かしく思うだろう。
当時は貸本屋というのがあり、単行本も借りてきていたので、一緒になって読んだものだ。三人目ともなると親も教育に不熱心になり、いくら漫画を読んでいてもまったく怒られなかった。将来は漫画家になろうと思ったこともある。(なりたいものがいろいろあったのだ)
「勉強しなさい」と言われたことは一回もない。母も、「言ったことがない」ことを自慢げに言うことがある。
学校は遠く、帰宅すると近所に友人はいないし、兄弟も年が離れているので、おもには一人で絵を描いたりして遊んだ。家にはたくさんの本があったから、自然と本を読むことが多くなった。
小学校のときから、バスと電車を乗り継いで1時間、通学にかかった。通勤と逆コースなので、朝の電車はガラガラだ。車内は読書室になった。やなせたかしの「詩とメルヘン」という雑誌に出会ったのもたぶんこのころだ。投稿したような気がする。何しろ昔のことなので、たぶん。
夏休みの課題図書と読書感想文は苦痛だったが、(あれは読書嫌いを作るのにはいい教育だ)強制されない読書は本当に楽しい。学校で禁止されたようなものを読むのがまた楽しい。
中学になって、学校の図書館から借りた少年少女推理小説のシリーズなどを、2日で1冊のペースで読んだ。図書カードは何枚にもなり、読みつくすと本屋で文庫本もたくさん買うようになった。
勉強はしなかったので高校生まで成績は平凡だった。この時代、コナンドイル(ホームズ)の次にアガサクリスティにはまる。はまると徹底的に読む。繰り返し読む。クリスティは20年は続いた。今でも時折手にすることがある。たいがい同時に数人の小説家にはまっているので、ぐるぐると彼らにのめりこむように耽溺する。
今に至るまで、いつもだれかしら読書好きな友達がそばにいて、勧めてくれるものを手当たり次第読んできた。そのなかで少しづつお気に入りが増えていく。大学生になって、ようやく「罪と罰」とか「ナルチスとゴルトムンド(知と愛)」などの文部省推薦図書のような文学に目覚める。
しだいに大人の本、児童書、漫画、町の看板、風呂場ではシャンプーの後ろの説明書まで、いつも活字を読まずにはいられない中毒のようになった。
(次の時代小説につづく)