パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

はないかだ 花筏 新宿御苑

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はないかだ。桜が散り、水面に花びらが漂う。いくつかがまとまって、流れていく。

 

やさしい、のどかな春の風景を感じさせる。

 

 

 

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以前、この言葉を英語にしようとして、ふさわしい翻訳が見つからなく苦労したことがある。

英語で「イカダ」と言えば、急流を下るような丸太を組んだダイナミックなものを指し、およそ桜の花びらとはかけ離れている。

日本の筏(いかだ)のような、素にして侘びたところに哀切を感じる心が、欧米文化にはあまり無いように思う。

よって、表現する言葉もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

方丈記

 

 

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河の水の流れは絶える事がなく流れ続ける。
しかしながら、そこにあるのはもとの水ではない。

 

ここは、とうとうと流れる大河ではないけれど、
この時代の流れの速さに、桜を見ながらそう感じてしまう。

 

 

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美しいものは哀しさを含んでいる。
 

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はないかだはやがて、打ち寄せられ、朽ちていく。

あんなにきれいだった枝垂れ桜も、花が終わってしまえば群がっていた人もいない。

 

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無常。常ならず。
方丈記は仏教の世界観で書かれている。

 

 

 

 

 

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。  たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。 方丈記 鴨長明 1212

 

 

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