パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

中谷宇吉郎随筆集 硝子を破る者

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雪の研究で知られる中谷宇吉郎博士の随筆集から、樋口敬二氏が編集した岩波文庫の一冊である。

 

 

以前も、博士の「雪」という本について書いたことがある。

 

 

「理系の人は文学的な表現に関心が少ない」と私は思っていた。

が、博士の書かれたものは、平易な文体でありながら美しい。
さながら、雪の結晶が正確で論理的なように。

世の中のさまざまな現象や人とのかかわりを、科学の目で観て話されている。
ユーモアもあり、篤実なお人柄が偲(しの)ばれる。

 

博士がまだ子供のころの思い出がある。
まだ夜明け前の寒い朝に、釜で炊かれたご飯のお焦げで作ったあつあつのおにぎりを握ってもらうシーンからは、香ばしさが漂ってくるようだ。

もちろん専門の話もあるし、バラエティに富んで親しみやすい。
是非お勧めしたい本だ。


たくさんある楽しい随筆の中で、あえてこの「硝子(ガラス)を破る者」に今の心境に通じるものがあった。

 

太平洋戦争が終わって半年後くらいの日本。1946年と思われる。
中谷博士が北海道から鉄道で東京へ出る、その汽車の中の風景である。

樺太(からふと)からの引揚民でいっぱいのその汽車は窓ガラスが破れ、零下10度の風が入ってくる。身を縮めて前に座っている男が、半分ひとり言のように言った。 

 

-「戦争に負けりゃあこんなもんだ。仕方がないや。」とつぶやいた。私はちょっと可笑しくなって「だって君、これは何もアメリカの兵隊が割ったんじゃないんだよ。ガラスを割ったのは皆日本人なんだろう」と言うと、その男も「そう言えばそうだね」と苦笑した。

日本人が汽車の窓ガラスを破るようになったのは、窮乏のために平常心を失ったからであり、窮乏は敗戦に原因する。そういう意味では、戦争に負けたから雪の吹きこむ汽車で寒い思いをしなければならないというのは本当である。しかし、「戦争に敗けたんだから」という言葉を、今日のように皆が無考えに使っていると、とんでもない錯覚に陥る虞れがある。-(中谷宇吉郎随筆集166p)

 

さらに、平常心を無くしたために起こる生産性の低下、流言蜚語(りゅうげんひご)についても、「なぜ起こるか」「どうしたら止められるか」を声高でなく、あくまで事実の積み上げで恬淡と語られている。

ここではかいつまんで説明したが、当時の世情、情景描写も細かくされていて、表現の素晴らしさに立派な文学と感じた。

 

人は歴史に学べというが、同様のことがなぜ繰り返されるのだろう?

多くの本を読んでいると、違う時代、異なる舞台で、似たような経緯をたどっていくケースを見ることがある。

一見違った問題でも、同じ公式があてはまるのに、
どの公式で解くか、答えを見るまでわからないかのようである。



「想定外の災害」に「人災」までも含め、なんでも「想定外だったから仕方がない」で済ませてはならない。

この本にこの考えを結びつけるのは論理の飛躍か、こじつけだろうか。

 

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