パルファン サトリの香り紀行

調香師が写真でつづる photo essay

母の茶道⑤ 朝茶を二服 Chanoyu

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茶道で「朝茶(あさちゃ)」、といえば朝のお茶事のこと。

また、「朝茶は二杯」というように、朝のお茶は1杯ではなく、2杯飲むものということわざがあるが、こちらは煎茶のことのようだ。

 

ここでは「朝に抹茶を飲む」という意味で、「朝茶」ということばを使ってみた。

 

以前にも書いたように、母が毎朝、自分のためにお茶をたて始めたのは40代のころで、もう続けて50年になる。

正の人なので、女学校の正課には茶道があったから、お茶を学んでからは70年以上だろう。 

  

母が朝の日課にしているのは、続きお薄(おうす)といって、濃茶(こいちゃ)の後に続けてお薄を点(た)てる手前なのだが、自分で二服(二杯)飲むので、少なめのお薄にして2回飲む。

 

私はこの日、いつもより少し遅く家を出たので、母の朝のお茶に居合わせることができ、一つ横から頂くことにした。

 

小さなお菓子をぱくっと食べて、お薄を頂く。

母のお薄は、濃茶用の抹茶を使っているので、味と香りに深みがあってすごく美味しい。

 

しかし、私が割り込んだために、話しかけられたり、普段とは道具の位置が変わってしまったので、途中で母の手が止まってしまった。

 

「あ、蓋置にコレを置くのを忘れていたから、ここがうまくいかなくなっちゃったんだわ。ひとつ手順を間違えると、先へ進まなくなってしまう。お茶のお手前(てまえ)とは、本当によく考えられている」

 

確かに、私もいつも思うのは、茶道とは、お道具の位置から手順から、究極の効率化が計られているので、お点前さえ体で覚えてしまえば、段取りのわずらわしさから解放され、心からお茶の滋味を楽しむことができる。

ただ、お道具の種類や、季節やさまざまな要因によって、覚えきれないくらいの決まり事やたくさんのお点前があるので、すべてを覚えこむのは難しいのだが・・・。

 

せめて母のように、基本のお点前がきれいにできて、お茶を頂く所作が美しくできるようにありたい、と願う。

 

もう握力が弱くなっているのか、茶せんを振るのがゆるいので、お抹茶の泡はあまり立たない。

母の年齢を感じて少し寂しい気がするが、本人はそういう感傷はみじんも感じさせず、溌剌(はつらつ)と一日を楽しもうとしているのが何より励まされる。

 

口で言われるより、日々の積み重ねを見ることが、心に深く沁みていくのだった。

 

 

 
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